今からちょうど20年前の春、就職したての私が上司に呼び出される手段は、“ポケベル”でした。音を鳴らされるだけで、会話ができる道具ではないため、こちらから改めて連絡しなければいけません。新米新聞記者だった私は、呼び出されたら公衆電話を探して回るのが常でした。山間部などを移動している時には、全く知らない民家の戸をたたき、家の電話を貸してもらったことも少なくありませんでした。 それから間もなく携帯電話が普及し、ほとんどの仕事が“どこでも、いつでも”できるようになってしまいました。今までは、会いたい相手にアポを取って、相手がいる場所まで出向いてそこで初めて話をすることができました。けれど携帯電話は従来のルールをいとも簡単に変えてしまいました。相手の番号さえ分かれば、いつでも直接つながることができる。お互いの就業時間など無視されてしまうのです。 そんなある日の夕方のこと。会社から少し遠い警察署の広報担当、副署長を久しぶりに訪ねました。常日頃お世話になっており、この日も事件の概要などを電話で聞いていましたが、仕事がひと段落ついたので挨拶がてら顔を出したのです。「久しぶりやないか。最近、顔を見せる記者が少ないもんなあ」。ぐさっと胸に刺さる一言が待ち受けていました。頭を下げながら、世間話をしたりしているうちに、ぼそっと彼が言ったのです。「電話じゃ無駄話はせんもんなあ。でもこれが大事なんや。顔見て話しているとどうでもいい話をするやろ。そこから人間関係もできる。こっちも人間。用事がある時だけ来られてもなあ……」。 電話やメール、ラインなどはラクです。足を運べば、時間もかかるし、取り次いでもらうにも手間が要る。行ったからといって確実に会えるとは限らず、会えても仏頂面で大した会話もできないかもしれない。でも一見“無駄”に見えることを重ねることで、関係を築いていったことも事実でした。便利な物は活用したい。でも大切なものを手に入れるためには、アナログな“無駄”が必要なのでは、とも思う今日この頃です。(2017.2.13)
紡だより Vol.14 アナログな無駄
更新日:2018年8月27日
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