早く懐かしい人の元に戻られるように馬を、去りがたき場所から発つには牛を用意する――。旬の身近な素材で亡くなった人を迎え、送り出す精霊(しょうりょう)馬(うま)。「よく考えられたものだなあ」と感心しながら、今年初めて、胡瓜で馬を、茄子で牛を作りました。うちの畑で採れた野菜を実家のある大阪まで持ち込み、麻がらで足を付け、子供たちが顔を描いて。庭で麻がらを焚いて、迎え火をしたのも初めてのことでした。 40歳を過ぎたイイ大人のくせに、いわゆるしきたりや習俗、仏事、マナーなどに明るくありません。若い頃、形式にこだわるが余り本質を失っている人に接することも少なくなく、それらに反発してきたとは言い訳でしょうか。父が「何もしなくていい」と言うのに加え、大阪では出雲ほど丁寧に初盆をしないこともあり、昨秋急逝した母を迎える準備は特に考えていませんでした。綺麗好きで、庭を愛した母が喜ぶよう、掃除や草取りなどに力を注げばいいかな、と。 しかし僧侶や親戚も数人訪れることとなり、お盆というものについて調べてみることに。母が残した法事の記録には盆提灯の組み立て方、仏膳の器の置き方などが記されていました。供え物の中身や置き方は、宗派で異なるようなので、寺の奥さんに電話で尋ねました。丁寧に教えて下さった後、「でも大事なのは『お母さんを迎える』という気持ちだから、無理しないでね」と付け加えられました。 「目に見えない力を大事にするんよ」。酒蔵で酒造りの手伝いをしていた時、杜氏がよく言っていました。神棚には常に榊や酒を供え、神社の月例祭には毎月参拝。微生物を扱う仕事ゆえか、危険が伴うゆえか、心から「神さん」を大事にしていました。 形だけの信仰やしきたりに縛られる必要はないと思います。でも何も知らぬままに全てを簡素化、省略化するのではなく、昔から引き継がれてきた思い、思いを形にする知恵を学んだ上で、今の自分たちにふさわしい形を継承していくことは大事ではないか、と自戒を込めて強く思いました。(2015.8.24)
紡だより Vol.3 継承する形と想い
更新日:2019年1月11日
Commentaires