
河川敷の埋め立て地のような場所を借りて、見よう見まねで畑仕事を始めてから早くも10年近く経ちます。知人に借りた“つるはし”で、小さいものから大きいものまでどれほどの石を掘り出したことでしょう。錆びた缶や土のう袋なども出てきました。“石退治”が済むと、知人の牧場から頂いた良質な堆肥や、農家から分けてもらったワラやモミ殻を混ぜ込み、先の割れた鍬で耕す。草や木を焼いて残った灰も混ぜました。そうして畑らしくなった地に、種を蒔き、苗を植える―。初めて大根が出来た時はうれしくて、友人たちに何本も持って行ったことを覚えています。 でも悲しく、悔しくなることも多々ありました。やっと出た芽をカミキリムシにかじられたり、収穫直前のスイカをカラスに取られたり、ナスが病気で枯れてしまったり……。今冬は異常な寒気で大根が凍み、土より上の部分は食べられなくなりました。保温性の強い土の力に感動すると共に、がっくりしました。例年なら菜の花が咲くまで楽しめたのに。でも、これが農家だったら「悲しい」では終わらないのです。 数年前、山陰地方が大雪に見舞われたことがありました。その時、専業農家の夫の実家では梨の棚が雪の重みで壊れ、長年洋梨を実らせていた木も駄目に。普段でも、台風や季節外れの雹(ひょう)、カラスなどで落ちたり、傷が付いたりして出荷できない状態になることは少なくなく、その度に対応に追われています。今年も桜が咲き始めた頃、ブロッコリーを栽培している知人が沈んだ声で漏らしました。「夜明け方に霜が降りてのう。苗が駄目になってしまったわ」。 私の実家は大阪です。コンクリートがメインの住宅地。ちょいとお洒落なレストランに行けば、隣の家族連れは「おいしい!」と言いながら、皿のあちこちに料理を残して、次を注文していました。言葉にならない息苦しさを感じ、心の中で叫びました。「コックはもちろん、農家や漁師たちの姿を思い浮かべてみて」。口に運んだその一片は、作り手が自然と共に生きる中で、美味しく人に食べてもらえるよう、時と想いを注ぎこんだ結晶なのです。ちょっと想像してほしい。写真は、土から出てきたばかりの筍。穂先すら土に埋まっていた筍を掘り上げるのも、大仕事です。(2016.4.8)
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