20231208
「大人になってもどぎまぎしたっていいんだな」
「いつから営業されているんですか」。看板もなく、大っぴらに宣伝していないせいか、オープンから10年近く経つ今も、お客様からそう尋ねられることが少なくありません。娘を出産前、違う場所で営業していた時期も含めると(当時は春から秋限定の営業でしたが……)、「紡」歴も約15年。それでも、毎回お客様を迎える時はドキドキしています。「食べ物が心と体に届いただろうか」「心地よい時間を過ごしてもらえただろうか」「おいしく食べて頂けるだろうか」……。お客様の好みは人それぞれですし、同じ方でも体調や天候などによって味の感じ方も違います。100%の正解なんてない中、お皿が空っぽになって返ってきた時、帰り際に「おいしかった」「明日から頑張れるエネルギーをもらった」と言われた時の喜びはひとしおです。
紡よりも長く携わっている仕事、文筆業でも同じです。新聞記者時代から含めると累計25年近く書く仕事に関わってきました。出産などでブランクがあったり、対価を頂かない寄稿だったり、年に数回程度の執筆だったりする時期もありましたが、今や私の人生の半分近くになります。しかし、時にはその「経験」が自らの首を絞めることもあります。こんなに長くやってきたのに、なんで自分はこんなに文章が下手なのだろうか、と。
自分の想いを人に伝えることすら難しいのに、人の想いをその人以外の方々に伝えることは本当に難しい。表現の仕方一つで誤解を招かざるを得ない場合もあるし、本人が語った言葉をそのまま伝えられない場合もある。執筆を頼んできた会社と、実際の取材相手との思いが少しずれていて、両者にとって納得いくものに仕上げるために苦労することも少なくありません。自分の感性を信じ、相手の心に寄り添い、対話の中からでしか得られない言葉を紡ぎ出したつもりが、何度も修正依頼がきて、自身の文章や取材そのものに自信がなくなることもあります。
駆け出しの記者だった頃、今の私くらいの年齢の先輩記者は、何でも知っていて、文章もスムーズにまとめて、取材相手の懐にうまく入っていける方々に見えていました。彼らと比べ、自分はやはり力がないのか、努力不足なのか――。そうして負のスパイラルにはまり込んでしまう中、何とか自分を奮い立たせようと思い出す詩があります。茨木のり子さんの「汲む」です。
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(略)
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました。
私はどきんとし
そして深く悟りました
大人になってもどぎまぎしてもいいんだな
(略)
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです
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年を重ね、経験を重ねたからといって、一概に強くなるわけでも、何でも分かるわけではない。もちろん努力すること、感受性を磨くこと、人の言葉に耳を傾けることは大切だけれども、できないことを恥じたり、見てみぬふりする必要はない。どぎまぎする自分や弱い自分を認めることで、きっと自分が大切にしたいものに近づけていくはず。
いい年をして恥ずかしいような気もしますが、私は今も褒められたい。褒められるために仕事をしているわけでも生きているわけでもないけれど、やはり誰かに褒めてもらったり喜んでもらったりすることはうれしいもの。それは素直に認めたい。料理でも文章でも、誰かの心に届き、そのことを伝えてもらえた時はやはり嬉しいものです。大人になるって心が鎧で覆われることじゃありません。心はやっぱり柔らかくて、脆くて弱く、そして温かくて揺さぶられるものなのです。だからこそ、大事な人への大事な想いは伝えなくちゃいけない。そして頂いた想いを糧にして、明日を生きていきたい。
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