
小学生の頃は夏休みになると、大阪から祖母が一人で暮らす九州まで弟と二人で“疎開”するのが恒例行事でした。3人での朝食を終えて、ふと台所を覗くと、小さなテレビで朝の連続テレビ小説を見ていた祖母がよく涙を流していました。それが不思議でたまりませんでした。物語が完結する映画や2時間ドラマならまだしも、たった10数分のドラマに、しかも時々見忘れたりしているのに感情移入できるのかなあ……と。でも年を重ねた今、祖母と同じようにわずか15分の物語に胸が熱くなり、泣いてしまっている自分が居ます。そうして心を揺さぶられることがどこか気持ちよかったりもするのです。自分の心が、少なからず潤いを持っていると思えるからでしょうか。
ぱさぱさに乾いていく心を ひとのせいにはするな 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ――。あまりにも有名な茨木のり子さんの詩「感受性くらい」の一節です。10歳代の頃、この詩に触れ、強く心を打たれた記憶があります。その後も幾度となく、自らを戒め、励ます言葉として大事にしてきました。あまりにも仕事が忙しかったり、ふとしたことで自分の存在自体が不安に思えてきたりすると、人の声や心を真摯に受け止め、自然の移ろいに気づけるゆとりを持つこともできなくなります。大切なはずの子供を叱ってばかりいて、さまざまなことを素直に受け取る純真さも忘れてしまう。潤いのある心を持ち続けられるよう、日々を生きたいものです。(2017.12.19)
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