20220124すぐに結果は出ない。でも彷徨いの時間って大事じゃないかしら。
元来、年間通して一番暇な時期である上に、オミクロン株の蔓延が重なり、1月半ばから時間に余裕ができました。土日も関係なく、未明から原稿を書いたり、仕込みをしていた日々が噓のよう。そんな私が取り出したのは、溜まっていた新聞の山です。かつて私が在籍していた頃の新聞社と違い、近年は各紙ともオピニオン欄やニュースや事象の掘り下げ記事がメインを占めています。スピードを競うものだけではない情報発信ツールになっているからこそ、安易に処分することはできませんでした。広告すら挟まったままの紙面には、改めて気づかせてくれるいろんな言葉がありました。
「創造というのは、記憶である」という黒澤明監督の言葉を紹介した映像プロデューサーは、「クリエイティブな作業というのは、無から有を生み出すことではなく、記憶の中から紡ぎだしていくもの。新しい創作には、本や映像、実体験が必要なのだ」と続けます。ライター業を“クリエイティブ”な作業といえるかどうかは別として、あまりに忙しくて新聞すら読めていない時は、取材した内容を読者に届く言葉や文章として構成するのに非常に苦しむことがあります。それが、睡眠時間を削ってでも、あえて本や新聞を読んだり、ドラマを見たり、レストランでゆっくり食事をすることで、逆に筆が進むのです。コロナ禍の影響で、欧米や日本の映画黄金時代のクラシック作品の数々も、ネットなどで視聴可能になっているとか。先日、娘たちと見たチャップリンの「独裁者」。80年以上前の映像に、笑い、考え、衝撃を受けました。
ある大学教授は、評論家、唐木順三氏が60年以上前に発表したエッセー「途中の喪失」を紹介。バスで学校に直行する生徒に比し、多くの体力と時間を通学に費やしていた自分たちは、「通学の“途中”という別の学びの場で、学校では経験できない予想外の出会いや気づきを得ていた」というものでした。入場料が必要な本屋を運営するブックディレクターは、別の紙面で、「ネットと違い、リアル書店で本を探すには手間も時間もかかる」と前置きした上で、「書店で偶然出会う本の中には、距離も時間もはるか遠くにいる人たちが残してくれた思いがけない言葉があるかもしれない」と続けます。確かに、一見“無駄”に見える彷徨いの時間が、自分では気づき得ない新たな発見に繋がることは、ままあります。
オンライン会議も、ネット通販も確かに便利です。でもそうしてできた時間の余裕をあえて「寄り道」に使うこと。リアルで味わう感覚を大切にすること。私という可能性を広げ、固定観念に縛られないためにも大切だと改めて感じたのでした。(2022.1.24)
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