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Vol.28 「進歩しているのか、退化しているのか?」

2024.3.4 「百の姓(かばね)を持つ人々」

 恥ずかしながら、転勤で出雲に赴任するまで「スタッドレスタイヤ」の存在を知りませんでした。公共交通機関が潤沢な大阪市内で生まれ育ち、就職先で最初に赴任したのは奈良。奈良県は南北に広がっており、管内には積雪が多い山間部もあったかとは思いますが、担当した仕事の多くが奈良市内であったことや、慣れない仕事を覚えるだけで精一杯だったことなどから、タイヤを意識したことがなかったのが事実です。それから早20年。今では何とか自分でタイヤ交換できるようにもなりました。不器用で車の知識もまるで持っていないにもかかわらず、自分で交換できるようになりたいと思ったのは、当時出会ったおじさんたちの影響でした。


 彼らは造り酒屋で働く蔵人たちです。夏は農業を営み、農閑期の冬季のみ泊まり込みで酒を造りに来ていました。ひょんなことから彼らと共同生活を送るようになった私が、酒造りの神秘とともに心を奪われたのが彼らの考え方や生活スタイル、佇まいでした。中でも、「物がなければ買う。壊れればプロに直してもらう」という考えしか持っていなかった私は、何でも自分たちで作ったり直したりしてしまう彼らの姿が驚きでしかありませんでした。簡単な大工仕事や電気工事などはお手のもの。以前、「百姓は、百の姓を持つ」と聞いたことがありましたが、まさにその通りでした。


 人は二本足で歩き、道具を生み、使うことで脳を進化させてきました。しかし技術の進歩と逆行するような形で、人は身体や五感を使って生活をすることが極めて少なくなり、自らや子どもたちの命や心身を育む料理にすら時間や手間をかけなくなりました。スーパーやコンビニに行き、お金さえ出せば惣菜や弁当を手に入れることができたり、レンジで温めるだけで短時間でおいしい食事を頂けたりするのは確かに便利です。火を起こし、薪で火加減を調節しながら何時間もかけて調理する時代に戻ることが良いと言っているわけではありません。でも、電気やガスが止まった時、お金で物を買えない状況に陥った時、現代人は生きていけるのでしょうか。


 間もなく東日本大震災から13年。震災発生時、被災地だけでなく、関東や関西でも一部の物が不足し、島根から当該地に住む家族らに水や電池などを送った記憶があります。当時は、“おじさん”たちの指南を受け、自ら開墾した小さな畑で野菜づくりをスタートさせたばかり。農家さんの真似事を通して、第一次産業の置かれている状況に一層関心を持つようになりました。食料も木々も空気も水も、多くは“田舎”と呼ばれる地方の人々の手で育まれています。天候に左右され、収入が安定しにくく、機械化できない作業がほとんど。経験や五感が問われる仕事が多いのも特徴です。しかしそれらを享受している人々がどれほど生産現場に思いを寄せているでしょうか。「地方の価値をもう少し再認識する必要があるのでは」と生意気にも思ったものでした。


 タイヤ交換から話は随分広がりました。お金を出してプロに頼むことも、時間をお金で買うことも決して悪いことではありません。私も日々どれほどコンビニやネットの助けを借りていることでしょう。でも、余裕がある時だけでもいい。自ら身体を動かし、汗をかき、自ら何かを生み出す力を育むことを心掛けたいと思うのです。きっと見えていなかったものが見え、気づいていなかったものに気付けるはずだと信じて。

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