遠い昔、まだ思春期だった頃。行き場のない心を持て余し、人が怖くて、自分が嫌いで、誰も信じられなくて。だけど完全に逃げることも出来ずに、苦しくて溺れていたような時がありました。「何を悩んでいるのか」と聞かれると、恐らく一言では答えることができない。自分自身でさえ言葉にすることができない。そうして、とりあえず目の前のものから逃げるものの、とことん逃げる勇気がない。
親に隠れて学校をさぼって公園で一日過ごしたり、精神科に通ったりした時期もありました。今の自分が嫌いで嫌いで、認められなくてたまらない時でした。そんな時、ある人の言葉が、すとんと胸の中に入りました。「そんな苦しみを経験できたことで、同じような苦しみを味わっている人の気持ちに寄り添うことができるんじゃない」。今の私を励ますのでもなく、否定するのでもなく、どんな状態であっても、価値があるって言われたような気がして、少し自分のことを大事に思えるようになりました。
私にとって、“スムーズ”に生きるのはとても難しいものでした。その後も行ったり来たり、逃げたり閉じこもったりしながら、何とか生きてきました。たくさんの人に迷惑をかけて、たくさんの人を傷つけながら。
すごいなあって思う人はたくさんいて、こんなふうになりたいなあって思う自分もある。本当はその理想に近づくために頑張りたい。でも、頑張り切れない弱い自分を認めることもできるようになりました。よく「そんなに頑張らなくてもいいんじゃない」と言われることもあります。けれど「頑張りたい」のも自分なのです。そして自分の理想通りに「頑張り切れない」のも自分なのです。
頑張るのに疲れたら、逃げたり、休んだり、閉じこもったりする。でも自分自身を嫌いにならないために、やっぱり頑張ったりもする。誰かにほめられたり、愛されたり、するのはうれしい。そうした喜びを糧にしつつ、最終的に自分自身を認めてあげるのは自分しかないから。
春が近づくと心もそわそわします。人と人との間で感じてきた様々な経験が、10歳代の頃よりは心を強くしたけれど、いくつになっても脆く壊れやすい部分も未だ持ち続けています。それは、きっと悪いことばかりではないと信じています。
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